9月21日は世界アルツハイマーデーということで、今回は『若年性認知症』を取り上げたいと思います。
みなさんは認知症と聞いて何を思い浮かべますか?
薬学生であれば『認知症とは、記憶障害・見当識障害・失語・失行・失認などの中核症状と不眠・徘徊・興奮暴力・幻覚妄想などの行動・心理症状がみられる疾患である。特に18歳以上65歳未満の発症した疾患を総称し“若年性認知症”という』と大学で学んだことでしょう。また、『認知症の方は後ろから話しかけないように』『財布を持たせないように』と、サポート側の留意点を思い浮かべる方もいるのではないでしょうか。
しかしそれらの認識が偏見を生み、患者さんが本当に必要としている支援がなされていない場合があるそうです。本コラムでは当事者の方の話をもとに、患者さんとって本当に必要なサポートとは何かを考えていきたいと思います。
今回はNPO法人Next Seeds様が主催の“若モーション交流会”を参考にさせていただきました。そこでは当事者の方とディスカッションを行い、疾患に対する想いや本音をお聞きしました。
※NPO法人Next Seedsとは…“若年性認知症の診断を受けても自分らしい人生を継続できる社会”を目指して活動する、特定非営利活動法人(NPO法人)です。【公式ホームページはこちら】
認知症であっても私は私
認知症と診断された次の日から日常が一変してしまったと佐藤さん(仮名)は語ります。家族から腫れ物扱いをされたり、周りの人からは携帯が使えただけで過剰に褒められ子ども扱いをされていると感じたりしたこともあったそうです。周りの過剰な心遣いに対して、嫌気がさすこともあったといいます。
「昨日の私も今日の私も変わっていることは何もない。ただ、認知症なだけなのに。」
これらのお話を聞き、認知症の医学的知識や社会の偏見が独り歩きしていることで、当事者本人の想いが置いていかれているように感じました。周りの支援者は疾患ではなく患者さんご本人と向き合い、今までと変わらない日常を過ごすことこそが本当の心遣いであると思います。
必要なのは“助け”ではなく、“工夫”
若年性認知症の方は若くして病を発症するため、高齢者の認知症に比べて社会活動に及ぼす影響が大きいと言われています。しかし、記憶障害などの症状はあるものの日常生活の基本動作ができなくなるわけではありません。
みなさんの中には「罹患患者=守らないといけない人」だと考える人がいるのではないでしょうか。この考えは優しさであり、見習うべき姿勢だと思う人もいるでしょう。しかし、今回のイベントではこの考えによって当事者の望まない支援を生み出すこともあると知りました。
もしあなたが若年性認知症患者に出会ったとしたら、最初から「困っている人だ。助けよう。」と接するのではなく、相手の意に沿う形で関わり、本来のあるべき生活が送れるように支援をしていく必要があると思います。
「認知症の人に優しい社会」は本当に優しい社会?
「認知症の人に優しい社会を作ろう!」といった言葉を見かけたことはありますか?優しさというものは捉え方により様々で、これだと明確に示すことは非常に困難だと思います。相手を想っての行動は本当に必要とされている支援なのでしょうか。実は、自分のための行動になっていないでしょうか。
支援とは力を添え助けることです。日常生活における障壁をもっぱら取り去るのではなく、患者さんご本人が自力で乗り越えられるように壁を削ってあげることが、支援する側の本当の優しさなのだと思いました。
最後に
私は今回のイベントを通して、当事者の方の想いや支援に対する本音について知ることが出来ました。また、患者さんを一人の人間として接することは医療従事者にとっては無くてはならない姿勢だと再認識する良い機会となりました。そして、教科書では学べない現状があることを知ることができました。
本コラムをきっかけに、若年性認知症について少しでも知っていただけたら大変嬉しく思います。若年性認知症について、より多くの若者に知ってもらえることを切に願っております。
今回参考にさせていただきました、若モーション様が作成した動画もございますので是非ご覧ください。
2021年度財務統括理事 東邦大学4年 小林幸恵